新下駄配列について今一度考えてみる(練習1800日目)

投稿日: 2025/07/19 11:37:10

カテゴリ: Astarte+配列

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前の記事ともう一つ前の記事で久しぶりにキー配列について記事を書いたことで、近況として掲載したAstarte配列の速度スコアが酷すぎたのもあって少し練習したりもしたのだけれど、そのスコアを場当たり的に再掲したところであんまり意味はないなと思いながら、ふと新下駄配列について考えを巡らせていた。

いまこの記事も新下駄配列とAstarte配列(の亜種)で打っていて、どちらの配列も正直、この上を目指そうというのは限りなく難しいくらい、最適化されている配列のように思う。

ちなみに新下駄配列とのペアとしてAstarteを選定している理由は、ローマ字と英語の打鍵のどちらもスムーズに打てるのが理由。(他の人もそうしているように、一部Astarteのオリジナルでは打ちにくい箇所があることから、多少アレンジしている。)

普段こうしてなんとなく文章を打っていて、あまり速度を意識することはないのだけれど、メインを新下駄配列に据えているのはやっぱり(無意識だとしても)速度や効率がポイントなんだろうなと思うことがある。

他のキー配列、特に親指シフト系では、どうしてもどこか高速打鍵には限界がある(ような気がする)。自分は別に速度をすごく重視しているとかそういうことはないのだけれど、中指シフトや薬指シフトを制定する理由は、月配列もそうであるように、やっぱり可搬性と速度にあるような気がする。

新下駄配列は、それにしてもレイヤー数が多い。中指シフトと薬指シフトをこれでもかというくらいにたくさん定義してあって、そのおかげで1モーラ=1ストロークが例外なく実現されていて素晴らしいのだけれど、未だに調べないと打てない文字は時々あって、熟練するにつれて、年々そういうキーは減ってきている。(というか探り方のコツを得たというべきか。)

Vimなどもそうであるように、思考の速度で打てるというのはすごく大事なことのように自分は思う。配列というのはあくまで配列であって、思考や作業を邪魔してしまうようなことがあってはいけない。

ただ、前記事でも書いたように、残念なことに新下駄配列には異様に打ちにくいキーストロークが時々あるのは確か。

打ちにくさとは何なのか

新下駄配列の打ちにくいストロークを考えるとき、打ちにくさって何なんだろうという哲学的な問いがどうしても頭をよぎる。

というのも、新下駄配列の打ちにくいストロークが発生する多くの理由は、おそらく両手が同時に複雑に動くからというもの。

例えば新下駄配列で「けれど」と打つとき、el dk si と打鍵する。なぜこんなに複雑なのかといえば、中指シフトと薬指シフトが、左手と右手で分かれているのが大きな理由。

自分は最初、打ちにくいストロークについて思いを馳せていたとき、「けれど」は打ちにくいかもなぁと思っていた。けれど、この文章でも何度も「けれど」「けれど」と出てくるにつれ、何度も何度も打っていると手が最適化していって、そのうち気にならなくなってくる。

そもそも日本語配列のレイヤーやシフトが何のために存在しているのかを考えると、元々最適化のために存在することが多い。シフトが必要なキーというのは単純にキーボード上に単打で置くと手が遠くなるとか、新下駄配列でいう「しゃ」「しゅ」「しょ」のように、1ストロークで打てるようにしたいという動機があったりする。

もちろん、レイヤーやシフトというのは存在しないに越したことはないだろうし、そういう意味ではフリックのような直感的なシンプルな構造で解決できるならそれに越したことはないのだろうと思う。

あるいは例えば、新下駄配列の打ちにくさが「同時シフト」(同時打鍵)にあるのであれば、月配列などのように前置シフトや後置シフトにすればいいという考えもある。ただ結局その辺は好みの問題で、総打鍵数に変化はないし、同時打鍵をしなくなるということは「指がしゃべる」ことも相対的になくなってくる。

話は少し戻るけれど、この辺の検証をしている際に、自分は最初、外来語(カタカナ語)が打ちにくいと考えていた。けれど、冷静に一語一語新下駄で外来語を打っていくと、実は思ったよりも打ちにくいということはないし、それよりも「大きい」とか「思う」とかのような普通の言葉のほうが案外打ちにくい。イメージほど外来語が打ちにくいということはなかった。

確かに一部の外来語は最初は打ちにくい。ただ、その多くが慣れの問題で、「思う」のように普通の言葉でさえシフトやレイヤーを多重に使って打鍵しなければいけないのだから、想像以上にそうした事情はイーブン。かえって、1モーラ=1ストロークの原則があるおかげで、どのストロークも慣れさえすればそれほど打ちにくいということはなくなっていく。

ここに、配列選定の難しさというのが内在しているような気がする。もし、Aという配列が打ちにくいと思い、Bという配列に移ったなら、こうした各言葉に関する個別の事情についても全て練習し直しになる。自分は今日でちょうど新下駄配列を練習し始めて1800日目になるのだけれど、1800日ということはちょうど5年くらいだろうか。

おそらく、この5年という期間の間に、自分が知覚していないレベルで、手先や脳の処理のなかでは様々な最適化が行われている。そのたびに知覚できるレベルでいえば、「ああこの言葉って打ちにくいなー」とか、「なんか手のこの辺がいつも疲れてくる気がするなー」とか、結局知覚できるのは最初に配列を使い始めたときとほぼほぼ同じレベルなのだけれど、きっと知覚できないレベルではいろんなことが起きているのだろうなと思う。

ちなみに最後になるけれど、自分は新下駄配列をそれほど本気で高速打鍵に使うようなことはなくて、そういう用途にはQwertyを使っているのだけれど、もし新下駄配列を高速打鍵に使って日常的に普通に使っていったとしたら、たぶんピアノと同じで、腱鞘炎気味な感じになったりするんだろうなという直感はなんとなくある。

もちろんそれを避ける術(すべ)はどこかにあるのだろうと思うけれど、もしかしたら自分が日常的に複数の日本語配列を使い分けてしまうのは、本能的にこういう偏重を避けているのかもしれない。(あるいは単に飽きたり疲れたりするだけかも。)

※ ふと全体を読み直したらなんとなくネガティブっぽく聞こえるフレーズが多かったけれど、たぶん「ですます」調でないのもあってそう見えるだけで、新下駄配列と戯れる時間はとっても楽しいし、いつもワクワクしている。(こういう分析的な記事を書くとき、その辺のニュアンスをうまく伝えるのがいつも難しい…。)