投稿日: 2025/09/20 04:56:29
カテゴリ: 思考整理
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1,2年くらい前から悩んでいることについて、せっかくなので言葉にしておこうかなと思う。
いつから気になるようになったのかよくわからないのだけど、自分がQiitaやZennやはてなで書いてきた記事が、ある時点からよく被参照(引用)されるようになって、それがあるときからとても気になるようになった。
すごく嬉しいことではあるし、いろんな人に読まれてるというのはありがたいのだけれど、どのメディアでも実名で記事を書いていながら今更だけど、自分はあまり人に見られることに慣れていない。
実名で書いているのはただ単にアカウント名を考えるのが面倒だったり、リアルなことを書くときにもしアカウント名がバラバラだと、気分的にリアルなことを書きづらい心理があるので、なんとなく実名でやってるだけのこと。1
たぶん被参照が気になるようになったのは、GoogleやGitHubなどがSNSのようにパーソナライゼーション(自分に合うコンテンツを表示させること)を強化するようになったことで、自分の記事などがあえて目につくようになったことが原因だと思う。
そこで最近自分は、デフォルト検索エンジンとしてGoogleを使うのをやめていて、かつ、パーソナライズの設定をオフにしている。
それでも、非パーソナライズしていても自分の記事をふと見かけることはあるし、特に自分が興味を持って読み始めた記事の中で自分の記事が取り上げられていると、なんともむず痒い気持ちになる。この確率は、自分が興味を持っている分野ほど確率が高くて、ニッチであるほどこの傾向が強いので、心理的に、そこからそれ以上調べるのを一旦やめてしまったりもする。
自分はあんまりエゴサとかするタイプではないのだけれど、このために自然にエゴサしてしまっているような気分になって、そのたびにいつも自分の記事やアカウントを消したくなるのだけど、グッと堪えてやめている。2
タイトルに書いた「自分の記事との向き合い方」について、自分は答えを持ち合わせているわけではない。けど少なくとも、他人はおそらく自分ほどは自分のことを気にしてはいないし、記事にもし間違い等があったとしても、それは他の人が別の記事を書く新たなきっかけになると思うので、基本的には自分の記事が読まれるのは歓迎するべきなのかなと思う。
それに、その記事を書いたのは過去の自分であって今の自分ではない。だからこそむず痒いのだろうと思うし、自分自身が何か気になったことがあるなら、それはきっと新たな気づきであり、成長なのだと思う。それをエネルギーにして、また新しい記事を書いていけば良いのかなと思ったりもする。